第30回 多喜二祭 2月12日
生きる力と文化のつどい

核兵器廃絶へ ヒバクシャ国際署名(林田光弘講演会)
詳細
2017年 生きる力と文化のつどい
核兵器廃絶へ ヒバクシャ国際署名
■日 時 12月4日(月)
18時開場、18時30分開演
■会場 大久保地域センター3階B
■資料代 500円
◇講演 林田光弘さん
(「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー)
「核兵器禁止条約」を軸に核兵器廃絶の実現を」
林田光弘プロフィール
2009年、第12代高校生平和大使(7人)の1人、現在、明治学院大学大学院生、1年休学して署名キャンペーンに全国各地を奔走。
「核兵器廃絶は人間性を取り戻す思想」「それを進める芸術の力」と語る。
どなたでも 参加できます。皆さまの参加をお待ちしています。
詩人会議の担当として文団連の会議に参加することになりました。いろいろな分野の文化団体がいろいろな活動をしています。
少しづつ紹介できたらと思います。
尹東柱と小熊秀雄と槇村浩
小熊秀雄(1901/9/9~1940/11/20)は、池袋モンパルナスで暮らし1940/11/20に亡くなった。
尹東柱は(1917/12/30~1945/2/16)立教大で学んだのは、1941年4月~1942年10月には同志社大にてんがくしている。2人はすれ違うことはなかった。
槇村浩(1912/6/1~1938/9/3)が 間島パルチザンの歌を プロレタリア文学に発表したのは1932/3/13
間島は尹東柱が生まれ育った所
三人とも日本軍国主義の犠牲になった。
尹東柱は(1917/12/30~1945/2/16)立教大で学んだのは、1941年4月~1942年10月には同志社大にてんがくしている。2人はすれ違うことはなかった。
槇村浩(1912/6/1~1938/9/3)が 間島パルチザンの歌を プロレタリア文学に発表したのは1932/3/13
間島は尹東柱が生まれ育った所
三人とも日本軍国主義の犠牲になった。
尹東柱と小熊秀雄と槇村浩
小熊秀雄(1901/9/9~1940/11/20)は、池袋モンパルナスで暮らし1940/11/20に亡くなった。
尹東柱は(1917/12/30~1945/2/16)立教大で学んだのは、1941年4月~10月。2人はすれ違うことはなかった。
槇村浩(1912/6/1~1938/9/3)が 間島パルチザンの歌を プロレタリア文学に発表したのは1932/3/13槇村浩は1938/9/3に亡くなった。
間島は尹東柱が生まれ育った所
三人とも日本軍国主義の犠牲になった。
尹東柱は(1917/12/30~1945/2/16)立教大で学んだのは、1941年4月~10月。2人はすれ違うことはなかった。
槇村浩(1912/6/1~1938/9/3)が 間島パルチザンの歌を プロレタリア文学に発表したのは1932/3/13槇村浩は1938/9/3に亡くなった。
間島は尹東柱が生まれ育った所
三人とも日本軍国主義の犠牲になった。